竜華操車場跡を訪ねる(3)。
こんにちは、よこてんです。
いつもご覧いただきありがとうございます。
地下道を通り抜けてきました。
■少年時代のお立ち台がここ
通り抜けたところに、小屋があります。この小屋もリフォームされてはいるものの当時からあったと思います。
小屋のすぐ向こう側が奈良方面行きの線路です。かつて写真の右側は『ミルトン』という、カルピスに似た飲料メーカーの工場がひろがっていました。現在は住宅地になっていますが、当時、この工場のほかは、住宅は数えるほどで、ほとんどが田畑であったように記憶しています。
操車場で、貨物の編成ができあがって、次に機関車に牽引されて貨物列車として各方面に走って行くわけですが、奈良、亀山、名古屋方面へ向けての貨物列車が、操車場内から関西本線へ進入する最終のポイントがこの小屋のすぐ向こうにありました。
小屋の左側、ちょうど地下道の上にあたる場所になりますが、当時はここに立ち入ることができました。まだ、SLが健在な時代でD51が煙をあげてこのポイントをわたるとき、ちょうど機関車の正面が見えるかたちになり、子供ながらにかなりの迫力だったのを思い出します。
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■ 神社の境内に残る古い柵
先ほどの場所から八尾駅の方向に行くと小さな神社があります。すぐ横を線路が走っていますが、よく見ていただきたいのは柵。グリーンの金網フェンスではなくその向こうに枕木を使った柵が残っています。もう少し近寄ってみましょう。
かなり古いものとわかります。残念ながらこの神社では少年時代遊んだ記憶がないのですが、このあたりが操車場の東端にあたる場所になります。
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■ 引き込み線の跡は痕跡なし
タワーマンションがずいぶんと遠くなりました。ここは八尾駅のすぐ手前になります。振り返ると八尾駅はすぐそこです。201系が久宝寺駅のほうからやってきました。
道路をはさんだ右側に、現在はマンションが建っていますが、少年時代は工場があって引き込み線が敷かれていました。架線柱の影が伸びていますが、ちょうどこんな感じで引き込み線が道路をわたっていました。遮断機も警報機もなかったと記憶しています。ただ、ここを貨車が通っているのを見た記憶はありません。
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