竜華操車場跡を訪ねる(2)。

管理人のよこてんです。
わたくしが、少年時代聖地であった場所、『竜華操車場』。
その周囲をもう少し歩いてみることにしましょう。

■ 新しい街のなかに変わらない風景が

現在、駅の南側には『竜華町』という名前の交差点があります。
かつてこの場所にはいくつもの線路が敷かれていました。写真を撮っているこの場所はまさに操車場の内部だったのです。

交差点を渡ってみましょう。歩道に白い線が引いてありますが、この白線がちょうど天王寺、湊町(現JR難波)方面行きホームと道路の境界あたりではなかったかと思います。
白い車がみえますが、その後方あたりが駅の出入り口でした。
左側には、なつかしい建物が並んでいます。飲み屋さん等がはいったこの2棟は当時から変わらずの風景です。

先ほどの建物の反対側に回って上空に目をやると、ご覧のようなタワーマンションが。
操車場だった跡地には、この他にも市立病院も新設されました。
前回もふれましたが、久宝寺駅は操車場をはさむように、上りと下りのホームが離れて存在していました。そして、当然のことながら北側と南側を結ぶ交通手段も必要となるわけで、この場所と、八尾駅方面に地下道が2か所ありました。現在も地下道は健在です。
地下道は歩行者と自動車の両方が利用できるもので、駅下にあった地下道は当初、幅員が狭いうえに自動車は両方向通行可能、けっこうな距離もあり、しかも歩道の区切りもなくたいへん危険であったのを記憶しています。途中から一段高い歩道がつくられ、自動車は南行の一方通行となりました。
写真内、車が停まっているあたりに地上への階段があり、歩行者はその階段を利用して駅へと向かっていました。痕跡を探してみましたが、何も残っていませんでした。
現在、地下道は新しくなり、幅員もとても広くなりました。自動車の南行一方通行は変わっていませんが、距離はかなり短くなり、くぐり抜けたところが、先ほどの竜華町交差点となります。

 

■ 久宝寺駅から隣りの八尾駅へ

タワーマンションを背に、八尾駅方面に歩いてきました。歩道と車道を区切る植え込みがあるあたり、ちょうど湊町方面に向かう関西線の線路がありました。ゆるやかに左にカーブしてやや鉄道廃線跡らしい風景です。
左側に建物がみえますが、国鉄職員の宿舎でした。福利厚生の一環として、理髪店や食堂などがあったと記憶しています。大勢の人が、ここ竜華地区に携わっていたのでしょうね。樹木のあるその向こう側に、もう一つの地下道があります。

それがこちら。この地下道は少年時代とほとんど変わっていません。こちらは当初から歩道と車道は区別されていました。車道が一方通行であったかどうかは記憶にないのですが、現在は北行きの一方通行です。
ちょうど地下道のうえに、人が座っていますが、この場所から撮ったのが下の写真です。

はっきりしない写真で申し訳ありません。天王寺方面に向かう101系です。黄緑色の車体、先頭車の前面には黄色の警戒色が巻かれていました。物心ついたころは、キハ35、36などの気動車が走っていましたが、小学生時代に電化されました。もちろん非冷房車。冷房車がまだめずらしかった時代です。
この右側が先ほどの建物になります。
では、地下道をくぐってみます。もう少しお付き合いください。

 

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