光明電気鉄道

こんにちは、よこてんです。
いつもご覧いただきありがとうございます。

毎日が暑い日が続きますね。大阪でも連日猛暑日です。
先日、静岡県浜松市で40.9度を記録、とニュースで報じていて、その地名が「船明(ふなぎら)」でした。最初は地名を聞いてそのまま聞き流していたのですが、「もしかして…」と思い調べてみたらやはりそうでした。

船明は静岡県浜松市天竜区にあり、天竜川に面した場所に位置する水運で栄えた町です。天竜川河口から約30km遡った地点で、天竜川で最下流のダム「船明ダム」があることでも知られています。かつては光明村船明でした。ここで「ピン!」ときた方はかなりの鉄ちゃんかも。

■ 遠州を駆けた幻の鉄道

「光明(こうみょう)電気鉄道」という鉄道会社がありました。実は管理人も、この鉄道の存在は最近まで知りませんでした。なんとも光輝く前途洋洋とした会社名に聞こえますが、実際のところはどうだったのでしょうか。

光明電鉄の設立は大正11年です。東海道本線の現在の磐田駅にあたる中泉駅から先ほどの船明を目指して建設がはじまり、昭和3年に田川まで開業、昭和5年に二俣町まで開通します。「二俣」と言えば、かつての国鉄二俣線、現在の天竜浜名湖鉄道の主要駅「天竜二俣」が思い浮かびますが、まさにその二俣まで線路を延ばしたことになります。二俣から船明までは直線で3~4km程度ですが、ここから先に線路が延びることはありませんでした。それどころか、昭和10年には運転休止、翌11年には廃止に追い込まれます。営業したのは僅か6年余り、一体光明電鉄に何があったのか、友人と二俣を訪ねましたので写真をまじえながらご紹介します。詳細をあまり知らず、うわべだけの紹介になりますことご容赦ください。

 

■ 光明電鉄の光と影

天竜浜名湖鉄道天浜線の天竜二俣駅です。国鉄二俣線時代の駅名は遠江二俣駅でした。昭和15年の開業当時の駅舎が健在です。ターンテーブルや扇形庫も残っていて観光スポットとして注目を浴びています。この天浜線の線区の一部、天竜二俣から掛川方面に向かって豊岡までの区間は光明電鉄の線路跡が流用されていてトンネルもそのまま使用されています。光明電鉄はこの豊岡(光明電鉄の駅名は野部)から南下して磐田方面に走っていました。

ここで素朴な疑問がいくつか浮かんできます。

まず、光明電鉄は何を運びたかったのか、という疑問です。ご覧のように天浜線は1両での運転、二俣は主要駅ですが沿線には取り立てて大きな町はありません。同じことが光明電鉄の沿線にも言えます。よって旅客での収入は見込めません。
先述しましたように、船明は天竜川の要港でした。そこでは豊富な木材が天竜川を利用して運ばれていました。光明電鉄はこの木材を運ぼうとしたのです。さらに上流、現在飯田線が通る佐久間地区に銅山があり、産出する鉱石の輸送を見込んで当時経営していた古河鉱業に資本提供を打診します。この会社から全体の約7割程度の出資金を見込んでいました。しかし、船明駅があまりにも遠く離れていたことや積み替えの不便さを理由に古河鉱業は出資を断ります。この結果、資金が集まらないどころか運搬するものも決まらないまま、建設、開業へと進んでしまうのです。
こちらは、二俣の近く西鹿島から新浜松までを結ぶ、「あかでん」こと遠州鉄道です。単線ながら12分間隔での運転、2両編成の電車がスマートに走っていて利用しやすいことで有名です。光明電鉄と天竜川をはさんで対岸を走っているわけですが、遠鉄は現在でも直流600Vで営業、対して光明電鉄はこの時代に直流1500Vで開業しているのです。都市間輸送がのぞめない状況でなぜ1500Vで開業しようとしたのか。実はこの鉄道、船明どころか日本海側まで延長する計画もあったそうです。前述の古河鉱業にはこの話しを持ちかけたかもしれませんね。出資を断られた時点で、なぜ建設をやめようとしなかったのか。資金が集まらないうえに設備に無駄な投資をしたことが、火に油を注ぐかたちになります。

■ 遠江二俣に残る遺構
戻って、天竜二俣駅の構内です。国鉄二俣線時代に活躍したキハ20が保存されています。きれいに塗り替えられようとしているのかちょっと残念な顔つきです。
キハ20が置いてある場所から少し歩いたところに、ご覧のように短いホームがあります。このホームが光明電鉄「二俣口」駅の跡です。おそらく通常は1両で走っていたのだと思いますが、はたしてどのくらいのお客さんが利用していたのでしょうか。
ホーム上に駅名板が再現されていました。次が結局終点となった「二俣町」です。船明まで到達しなかったため木材輸送も実現はしなかったのでしょう。
「二俣町」駅の痕跡は残っておらず、駅名板だけが置かれていました。途中にトンネルが残されているのですが、下調べなく来てしまったため残念ながら写真はありません。

■ 信じられないエピソードも

二俣付近を除いてはほぼ平坦な地形のなか、光明電鉄の車両は軽やかなスピードで颯爽と遠州路を駆け抜けていたのだと思います。しかし内部事情は全く違いました。廃止になる前に電気代を滞納していたことで電力会社から送電を止められたそうです。こんな話はあまり聞いたことがありません。
こうやってご紹介しながらも、本当に実在した鉄道だったのかどうか、こちらも何となく不安になってきます。もしかしたら、寝苦しい熱帯夜に見た夢だったのでしょうか。

 

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