明神電車

こんにちは、よこてんです。
いつもご覧いただきありがとうございます。

■ 近代化を支えた鉱石輸送列車

皆さんは「明神電車」(めいしんでんしゃ)という鉄道をご存じでしょうか。
明神というよりも「一円電車」と言ったほうが、ピンとくるかもしれません。

明神電車は、兵庫県養父市の明延鉱山と、朝来市神子畑(みこばた)を結んでいた、5.7kmの鉱山用軌道でした。
軌間は762mm、直流550Vで、区間のほとんどはトンネルであったようです。
明延鉱山は、銅、亜鉛、錫を産出し、特に錫は日本一の産出量を誇っていました。産出された鉱石運搬が主要目的でしたが、同時に鉱山関係者やその家族の輸送も行い、その運賃が一円であったことから「一円電車」の愛称が付けられました。
かつては、日本の近代化産業を支えた明延鉱山も1987年に閉山、同時に「一円電車」も廃線となりましたが、町おこしによりレールを敷いて復活運転を行っていると聞き、訪ねてみました。
なお、訪問は2016年で、現況との相違がありますことをご容赦ください。

■ 町おこしの一環として復活

マイカーを利用して明延に到着しました。ご覧のように立派な乗り場が作られていました。復活運転会場は駐車場と兼用で、ちょうど外側を巻くようにU字型に線路が敷かれていました。

こちらが、実際に明神電車で使われていた客車、「くろがね号」です。昭和24年製。乗降口前に立つ係員と比べると大きさがわかるかと思います。ブルーに塗られたバッテリーロコが推進・牽引する形態でした。このバテロコは明延で活躍していたものではないとのことでした。どこで働いていたのかは、聞き忘れました。

■ 世界にひとつだけの車両 車内は「狭い」の一言 

車内の様子です。車体も小さいですが窓も小さく圧迫感があります。10人も乗ればほぼ満員状態でしょうか。わずかな乗車ならそうでもないですが、長時間はとても我慢できないそんな空間です。ただボギー台車をはいていたのは営業時もこれ一台のみ。言ってみればピカ一の存在で、この車両が明神電車では最も乗り心地の良い車両だったことになります。
先ほどの「くろがね」は機関車に牽引される客車ですが、こちらは自走できる、電動客車「白金号」です。昭和27年製。屋根上にパンタグラフが付いているのがわかります。定員は6名で、主に役員輸送に使用されたということです。
どちらも個性的なスタイルをしていますね。特筆すべきは、この2つの車両は、ここ明延鉱山で製造されています。写真が無く、ここでは紹介できませんが、明神電車では、ほかにも明延で製造された車両が使われていました。車両作りも技術の鍛錬ということだったのでしょうね。

■ 鉱山従業員を支えた街

会場からしばらく歩くと、賑わいをみせていたころの明延のメインストリートがあります。最盛期には5000人近い人々が、ここで暮らしていたそうです。写真はタバコ屋さん。他にも酒屋、化粧品店、食堂などが並んでいました。地元の高校生が当時の店舗のイラストを作成して展示していました。時計・貴金属店のそばに質屋があったのも、ちょっと面白かったです。

 

洋風のおしゃれな建物は、共同浴場です。現存するのはここ「第一浴場」のみで最盛期は6ヵ所あったそうです。鉱山従業員への福利厚生の一環で入浴料は無料でした。ちなみにこの地区では電気も水道も無料だったそうです。明神電車の運賃も当初は無料、その後閉山まで一円だったこともうなずけます。

■ 今も残るインクライン跡

第一浴場からしばらく行くと、視界がひらけてインクラインの跡が見えてきます。ここが明延鉱山の中心部にあたり、インクラインを上がったところが鉱山への入り口となり、明神電車もここから神子畑に向けて出ていました。

神子畑には、東洋一といわれた選鉱場があったそうです。また、播但線の最寄駅「新井」(にい)までは神新軌道とよばれた鉄道も存在していたそうで、産業遺産の見学を含めて一度訪問してみたいと思っています。

 

Follow me!