保存車両を訪ねて(3)

こんにちは、よこてんです。
いつもご覧いただきありがとうございます。

コロナ禍で、乗り鉄も営業自粛をしておりましたが、先日久しぶりに自粛を解除いたしました。
阪神難波から尼崎へ、ここから直通特急に乗り換え、東二見で今度は3000系普通に乗り換えて向かった先は…。

播磨町駅で下車します。初めて降りる駅です。すぐそばを喜瀬川が流れていて、川沿いに上流に向いて歩くこと20分、播磨町郷土資料館に到着します。付近は「大中遺跡」と呼ばれる弥生時代の遺跡があり弥生式住居を模した兵庫県立考古博物館もありますが、お目当てはあくまでも郷土資料館です。
資料館への道です。「であいの道」と名付けられています。
振り返ると、先ほどの喜瀬川に橋が架けられています。対岸を見てみると…。
緑の中に遊歩道が見えますね。「であいの道」はここからJR土山駅までのびています。こちら側はここまでで失礼して、先ほどの道を歩いて資料館へと向かってみましょう。
資料館に着きました。今回の保存車両はこちら、この地を走っていた別府鉄道の機関車と客車です。保存状態が大変良いことに、先ずは驚きました。実は先ほど紹介した「であいの道」は、別府鉄道の廃線跡になります。

 

別府鉄道は、兵庫県加古川市の別府港から、国鉄高砂線野口駅までの「野口線」と、JR山陽本線土山駅までの「土山線」の2路線を有する私鉄で、野口線は大正10年、土山線は大正12年にそれぞれ開業しています。どちらかといえば貨物主体の鉄道で、別府港にある「多木化学」でつくられた肥料を運んでいました。1984年に廃止されています。国鉄の貨物輸送が合理化により、従来の貨車による輸送からコンテナ主体の輸送に再編されたことが最大の理由でした。旅客輸送も行ってはいましたが、廃止する時点で、旅客輸送のみの野口線が1日10往復、土山線は4往復で、言ってみれば貨物輸送の「おまけ」みたいな感じでした。

機関車はDC302型。川崎車両で1953年に製造されています。ロッド式ですね。当初は倉敷市交通局にいましたが、途中で譲り受けて別府鉄道にやってきました。倉敷市交通局といえば、現在の水島臨海鉄道になります。
客車はハフ5型。1930年日本車両製。こちらも三重県の三岐鉄道から譲渡されています。車輪も前後に1軸づつしかない、いわゆる「単車」と呼ばれるもので、さらにバネも「板バネ」ですからこれは貨車と同じ乗り心地になります。クラシックなこの車両は廃止日まで走っていました。車内も見学可能ですが、当日は新型コロナの影響で見ることはできませんでした。
資料館をあとに、別府港まで廃線跡を歩いてみることにします。約3kmほどの道のりです。
しばらく行くと、「であいの道」は終わり、廃線跡は道路へと転用されています。
途中で貨車を発見。倉庫として使われているようですが、保存状態が素晴らしいの一言。当然のことながら、防錆、塗装も入念にされていることが一目でわかります。
別府港駅が近くなってきました。廃線跡は山陽電車のガードをくぐります。単線であったためここだけ道路がせまくなっています。
鉄道用の通信ケーブルの留め具でしょうか。ガード内に残っていました。
こちらはもう一つの路線、野口線の廃線跡です。写真奥に山電のガードが見えます。写真の後ろ側が別府港駅の構内で、ちょうど土山線との分岐点あたりになります。


このあたりが別府港駅だと思われます。写真の建物は営業時からの生き証人で、線路はこの建物の左側を通って多木化学の工場へと延びていました。
かつて、管理人は2度、別府鉄道に乗っています。残念ながら、写真は1枚もありません。ただ、当時の切符が手元に残っています。
土山線には昭和58年に乗っていますね。そのときの客車はハフ5ではなく、ダブルルーフ開放デッキのハフ7でした。関東の相模鉄道の前身、神中鉄道から譲り受けた車両で、正直そのまま博物館にはいってもおかしくないくらいの貴重な車両でした。別府港では貨物列車の最後尾にハフ7がくっついていて、ホームからではなく線路をまたいで乗りました。機関車の形式が何であったかの記憶はありません。
乗客は5~6人で、その全てが鉄ちゃんであったように思います。車掌は「おじいちゃん」という感じの方で、土山の手前で切符拝見のときに「ありがとおます」と言われていたこと、そして土山で停車する際ハフ7の手ブレーキを回して衝撃とともに停車したことが印象的でした。

確かに、ハフの「フ」は、ブレーキのフでしたね。

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