国鉄型車両を訪ねて 5

こんにちは、よこてんです。

今回は近郊型の115系です。1963年から作られほぼ2000両の仲間がいました。
細部に違いはあるものの外見は113系とほぼ変わりなく、管理人は塗り分けで区別していました。少年時代、115系は関西では見かけませんでした。というのも113系が温暖で平坦な線区向けであったのに対し、115系は高出力のうえ寒冷地仕様、さらに113系にはなかった抑速ブレーキを搭載していたため関東を中心とする山岳路線に配置されていました。
西日本は、山陽本線の難所「瀬野八」を考慮して広島地区が最初だったと記憶しています。写真は三原駅での115系L編成。MM’の電動車を中間車にして制御車を両端に配した2M2Tの4両編成です。これで瀬野八に挑んでいましたので、「坂に強い115系」と言えるでしょう。

初めて乗ったのはいつだったのでしょうか。高校時代に飯田線に乗りたくて、当時、豊橋から辰野まで全線乗りとおしたあと、新宿行きの夜行電車(当時は「新宿夜行」と呼んでいました)に乗っているのですが、これが113だったか115だったか、もし115系ならこの時が最初かもしれません。直流区間ならどこでも見ることができたので、どちらかと言えばあまり出会いたくない車両でした。

国鉄車両の淘汰が早いJR東日本ですが、この115系は、まだ僅かに残っているそうです。
写真は直江津駅です。北陸新幹線が金沢まで延長開業する前の訪問で、このあと新幹線と並行する新潟県内の在来線は第三セクターの「えちごトキめき鉄道」になりました。信越本線、越後線などで、まだ元気な姿を見ることができます。

西日本は227系が広島地区に投入されたために「瀬野八」からは撤退しましたが、岡山地区や山口地区で幅広く活躍しています。
写真は、呉駅に停車中の115系。現在はすべて227系に置き換えられていて、この場所では見ることはできません。

こちらは新山口駅でのT-12編成です。T編成は岩国~下関間の限定運用車両です。ご覧いただくように一部リバイバルの旧塗装も存在しますが、黄色一色での塗装はなんとも形容しがたいですね。この塗装簡略化によって113系と115系の区別がつかなくなってしまいました。タイフォンの蓋が、115系はご覧のようなシャッター式であるのに対して、113系はマンホールのような蓋になっている、というところが見分けるひとつの方法ではあるのですが、京都にいる113系はおそらくシャッター式の蓋だったと思いますし、完璧に当てはまるわけでもなさそうです。
このT編成はMM’方式の中間車からの改造車となります。したがってクモハ+クモハの非効率2両編成です。
窓越しの写真で失礼いたしますが、反対側の顔はこんな感じ。どうも気合いが入らない顔ですね。実はこの車両、少し前までは福知山にいました。1編成を残して、山口地区に転属になっています。
そして、福知山で残っている115系がこちらです。顔色は違いますが、同じ顔です。1編成2両のみですが、113系と新鋭223系に混じって奮闘しています。

最後は岡山地区。こちらは岡山地区で最大勢力のD編成。3両で組成されています。113系ならちょうど良いのですが、115系だと若干体力を持て余し気味でしょうか。
D編成のなかには、こんな顔もいます。先ほどのT編成よりも少し窓が大きくなりましたが、どちらにせよ残念な顔ですね。

 

Follow me!