急行型車両を訪ねて(1)

 

こんにちは、よこてんです。

「急行」という言葉を聞くとき、その響きにはなんとも言えない懐かしさをおぼえます。以前お話しましたように、少年時代、両親の故郷の帰省する際は大阪から4時間、「みまさか」という急行を利用しましたし、高校、大学時代は周遊券で旅行する際は、急行の自由席は料金を追加せずに乗ることができました。夜行急行も多々ありました。特急までも飾らず、気楽に乗れるのが「急行」であったように思います。特急も「特別急行」であり、広義では急行に分類されるかと思います。

気動車急行と言えばこの顔ですね。キハ58です。総数1823両の大所帯であったのに、今ではJRにも現役車両そのものが存在せず、たった1両、房総半島の「いすみ鉄道」にキハ28が、営業運転を行っているのみとなりました。DMH17Hというエンジンをキハ58は2基、キハ28は1基積んでいます。このサウンドに今でも心躍る方がいらっしゃるのではないでしょうか。
そのほか、動態保存されているものがいくつかありました。その1両が和歌山県の有田鉄道跡に残る、キハ58003です。
有田鉄道は、1916年に蜜柑の運搬を主目的として積出港のある海岸駅と金屋口駅間を開通させています。後に開通した国鉄紀勢本線の藤並駅が連絡駅となりましたが、先に湯浅方面海岸駅まで開通していたため、藤並、湯浅間はしばらく国鉄と並走するかたちで運行していました。戦時中に不要不急路線ということで海岸、藤並間が休止。戦後は、自社路線は復活せず、湯浅まで国鉄に乗り入れるかたちとなりました。
乗り入れは1992年、藤並、金屋口間の営業運転も2003年で廃止となっています。
廃止後、金屋口駅構内は整備されて有田川町鉄道公園となっており、ここでは、営業最終日まで在籍したキハ58003と、レールバスのハイモ180-101の2両が動態保存されています。

実は、ここに残るキハ58は特筆すべき点があります。
元々は富士急行が国鉄中央線、新宿乗り入れの目的で発注した車両で、58001~3のうち001と002は国鉄の車両と同じ片運転台でした。58003のみ増結用として製造されたもので、編成のどちらに連結しても支障のないよう両運転台となっているのが特徴です。日本中探しても、キハ58系の両運転台車はこの1両しか存在しません。
3両とも有田鉄道に譲渡されたのですが、乗客も少なく、単行運転できるメリットから、有田では58003が最も重宝がられたそうです。
古い写真で恐縮です。わたくしが中学生の頃、有田鉄道を訪ねたときのものです。藤並駅に停車中のキハ58003です。2枚目は金屋口駅構内で、中央にキハ07タイプが停まっていますね。隣がおそらくキハ58001だったと思います。奥のほうに58003が停まっているところが駅ホームです。
2014年に訪れたときの車内です。このときはエンジンの状態も良く走行可能でした。
40年ぶりにキハ58003に乗って、「金屋口」に到着しました。ちょっと不思議な気分になりました。
残念なことに、現在キハ58003はエンジン不良のため運転を休止しているそうです。いつまでも、あのディーゼルサウンドを響かせてほしいものです。

 

 

Follow me!