「第四大和川橋梁」

こんにちは、よこてんです。
いつもご覧いただきありがとうございます。

■ 大阪府柏原市に存在するもう一つの選奨土木遺産

前回は近鉄道明寺線に残る鉄道遺産をご紹介しました。

明治時代に作られたレンガ積みの橋脚は、大阪府柏原市に位置します。土木学会選奨土木遺産に認定されていることも同時にご紹介しましたが、実は同市内にもうひとつ土木遺産に認定されている鉄道構築物「第四大和川橋梁」が存在することを知り、今回訪ねることとしました。何度も列車で通っていて、その不思議な構造は以前から気になっていました。

[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

日本の鉄道遺産【電子書籍】
価格:1324円 (2022/6/8時点)

 

■ スタートは訪れやすい秘境駅「河内堅上」


「第四大和川橋梁」への最寄り駅はこちら、ホーロー製の駅名標がなんともクラシックなJR関西本線の河内堅上駅です。明治44年、関西本線時に「青谷」という名の信号所としてスタート、昭和2年に駅に格上げされて現在に至っています。駅本屋にあった建物財産票にも昭和2年3月とありましたので、当時のものが使われていることになります。
下りホームです。足元には大和川が流れています。静かな佇まいをみせていますが春には桜が咲き華やかな駅となります。
草木が生い茂るだけのわけのわからない写真が2枚続きますことお許しください。
河内堅上駅ではかつて砕石輸送が行われていて貨物ヤードが存在しました。対岸からベルトコンベアーで運ばれた砕石はこの場所でホッパー車に積み込まれていました。1枚めはおそらくこのあたりにベルトコンベアーがあったのではないか、2枚めはおそらくこの空き地がヤード跡ではないかと。あくまでも憶測で現在は痕跡を見つけることはできません。子供のころこの場所でD51が停まっていたのをかすかに記憶しています。

[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

関西本線 1960年代~90年代の思い出アルバム [ 牧野 和人 ]
価格:2970円(税込、送料無料) (2022/6/8時点)

 

■ 日本唯一の特異構造


河内堅上駅から歩くこと5~6分でしょうか、今回の目的地である「第四大和川橋梁」が見えてきます。
全長は233m、平野部のない窮屈な場所を対岸に渡る橋梁で、渡り終えるとすぐにトンネルが口を開けています。
先ずトラス橋が目に飛び込んできますが、線路そのものはトラス上をガーダー橋で斜めに渡っていきます。一見、二重構造で上のガーダー橋が鉄道で下のトラス橋が道路?とも思えますが、こちら側の狭隘路(龍田越え奈良街道)と対岸を走る国道25号線は、お互いにこの場所で対岸とつながっていません。

では、下に存在するトラス橋は一体何なのか。
実はこのトラス橋、上部のガーダーを支えているのです。「第四大和川橋梁」は、「桁受け用トラスを有するプレートガーダー橋」という全国でも珍しい橋梁なのです。

■ トラスが、ガーダーが橋桁!?

龍田越え奈良街道を歩いて今度は反対側から眺めています。トラスがガーダー橋を支えているのがおわかりいただけますでしょうか。そしてトラスからのびる4本の支柱は川の流れに干渉しない位置に立てられています。さらに橋上を走る221系の先頭のあたり、下部には国道25号線が走っていますが、その国道上部にもガーダー橋を支えるガーダーが存在します。

 

時代を感じさせる銘板をみつけました。発注したのは鉄道省、製作したのは「横河橋梁」のようで、その下は昭和○年と読み取れるのですが数字の部分が判然としません。調べますとどうやら昭和7年に開通しているそうです。見た感じ「六」のようにも見えます。
「薬水拱橋」にもあった、土木学会選奨土木遺産の銘板が掲げられていました。

 

■ 特異な橋梁が産まれた壮絶な自然との戦い

こうして、あらためて眺めてみるとなんとも珍しい橋梁であることが実感できます。

ところで、冒頭、関西本線のこの区間の開業は明治44年とご紹介しました。この橋梁の開通は先述したように昭和7年で20年ほどのタイムラグがあります。完成する前にここを渡る前身の橋梁が存在したのでしょうか。

土木学会は、この「第四大和川橋梁」と合わせて、1㎞ほど上流にある「第三大和川橋梁」も選奨土木遺産に認定しています。一度対岸に渡った路線は再びこちら側に戻ってきます。なぜこのような特異な技術を用いてまで対岸に渡さなければならなかったのでしょうか。
第四大和川橋梁から振り返った大和川の中に、この地の由来となった岩を見ることができます。写真上部には対岸を通る関西本線の架線も見えています。

この付近一帯を「亀の瀬」と呼びます。大和川の中で亀がのんびり甲羅干しをしているようなそんなイメージですが、どうしてどうして、実は世界的にも類を見ない「超難所」でした。
結論から申し上げますと、鉄道は当初、対岸は走らずこちら側を走っていたのです。ところが、ある自然現象が発生したため対岸を通すことになりました。

次回は、この「亀の瀬」がどのような難所であったのか、また、難所克服の中での大発見をご紹介したいと思います。

今回もご覧いただきありがとうございました。

 

 

 

Follow me!