阪和貨物線の跡を辿る(1)

こんにちは、よこてんです。
いつもご覧いただきありがとうございます。

■ 関西本線と阪和線をつなぐバイパス路線

わたくしが初めて鉄道と出会った場所は竜華操車場でした。かつて、この操車場から2本の貨物線が出ていました。ひとつは城東貨物線で、現在では「おおさか東線」とかたちを変えて貨物のほか旅客営業も行い、大阪東部の新しい交通体系を確立しています。

もうひとつ、阪和貨物線が阪和線の杉本町まで伸びていました。久宝寺を出ると、次の加美の手前から南下、出戸付近で西に進路を変えて大阪市の南部を大和川に沿って走る路線でした。
城東貨物線は非電化であったのに対し、こちらは全線電化されていて操車場に隣接していた竜華機関区所属の電気機関車が貨物を牽引していました。その中で本来旅客用機であるEF52やEF58が貨物を牽いていたのは、今となってはとても貴重なシーンであったはずなんですが残念なことに私が所有している写真は1枚もありません。
記憶にあるのは、みかんを積んだ有蓋車、緑色の柵を付けたチップを積んだ無蓋車、面白いところでは南海電車の甲種輸送などでしょうか。1980年代、徐々に貨物輸送が鉄道からトラックに変換され、1986年に竜華操車場は信号場となり貨物列車の運行がなくなります。ただその後も、臨時列車の運行などで使用されてきました。
電化路線であったことや、用地買収はほぼ複線の使用が可能な状況にまで進んでいたこと、さらには駅の設置計画もあり城東貨物線同様、こちらも旅客営業をするものと思っていましたが2004年に休止、ついに2009年には廃止となりました。

今回は、廃止後十数年が経過した路線跡を辿ってみたいと思います。

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■ 久宝寺~加美間は部分的に線路や架線柱が残る 

久宝寺駅を出発する、おおさか東線の201系です。写真奥、ツートンカラーのマンションが建つ場所が久宝寺駅です。大きく変貌を遂げたこのあたり、かつての操車場を思い起こすのは難しいですが、写真中央部には機関区があり、阪和貨物線と天王寺方面に向かう関西本線の線路はもっと右側、歩道付近から現在の線路に寄り添うような感じで伸びていたように思います。
窮屈な写真で恐縮です。今度は天王寺方を向いています。現在線路が4線並んでいますが昔も同じような並びでした。ただ、現在は真ん中2線がおおさか東線、両端が大和路線になります。かつて阪和貨物線が健在な頃は左端が阪和貨物線、真ん中2線が関西本線、一番向こうが城東貨物線でした。この付近に渡り線があり操車場へ進入していたと思います。ここも記憶はおぼろげですが、阪和貨物線はもう少し左側を走っていたような気がします。上を走る道路は中央環状線です。
こちらは加美の手前付近になります。西に向いて走っていた路線ははなだらかな左カーブのあと、ここからほぼ直線で南下していきます。
右手の高架はおおさか東線で、その下を大和路線が天王寺方面に向けて延びています。中央に建つビルの右側に小さくあべのハルカスが顔をのぞかせています。

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加美駅近くになります。踏切は閉鎖されているものの警報機が残されています。ここから上り勾配となり架線は外されていますが線路は敷かれたままです。ただ単に、ほったらかしと言うことになるわけですが、鉄ちゃんとすればいきなりテンションがあがる光景ですね。
道路をまたぐコンクリート橋もそのままです。これも鉄ちゃんには嬉しい限りですが、高さは2.2メートルしかなくご近所でクルマ、特にワンボックスカーを運転される方には迷惑な話かもしれません。アンテナに気を付けてギリギリ通過できるのでしょうか。

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ご覧のように、築堤上も線路はそのままです。モハは無理ですがキハなら走れますね。

築堤が高くなりました。今度は3.0メートルですので、これなら大丈夫ですね。
ここには木造の架線柱が残っています。

 

このあたりは立派な架線柱が残ります。

さらには、5燈式の信号機まで。信号ボックスも確認できます。

 

■ 加美~出戸間、国道越えの橋梁は撤去。コンクリート高架、平野川橋梁は健在

築堤がとぎれるあたりから平野川を渡るまでは、沿線のなかでもシンボリックな区間となります。築堤がとぎれてすぐに道路を跨ぐプレートガーダーが現れます。
そして国道25号線付近まではコンクリート造りの高架線が続きます。このまま国道25号線と立体交差します。
ご覧のように国道25号線を跨いでいました。ここにもプレートガーダー橋が残っていたのですが廃止決定後撤去されています。ここからは再び築堤となります。
阪和貨物線の全線開業は1952年です。ただ久宝寺から出戸までの区間は1942年に、現在の八尾空港の前身、大正飛行場までの引込線としてすでに線路が敷かれていました。1942年といえば戦時下です。コンクリートアーチや直線的な線路形態は前々回にご紹介した旧国鉄篠山線にどことなく似ていますね。国道25号線も飛行場近くを通るため重要な道であったはずです。立体交差が計られたのもこのような経緯があったのかもしれません。

 


平野川です。こちらの橋梁はしっかり残っていました。ここからは下り勾配となります。

 


このあたりは、市の境界が複雑な地域で阪和貨物線のスタートは八尾市、すぐに大阪市平野区に入り、平野川を渡ると再び八尾市になります。
このコンクリートアーチ橋は、高さも幅も2.2メートルです。さらに下り勾配が続きます。
築堤が低くなってきました。奥に駐車しているハイエースならちょっと厳しいか…と思っていたらこの場所のコンクリートアーチは撤去されていました。築堤が終わるあたりで再び八尾市から大阪市平野区に入っていきます。

 

■ 出戸付近は整備が進み跡地のみが残る


地上に降りてきました。出戸付近になります。この付近の踏切設備はすでに撤去されていました。
大阪メトロの出戸駅付近です。
一時阪和貨物線で、出戸、瓜破、新矢田の3駅を設置して旅客営業を行う計画がありました。写真背後は出戸駅に併設されたバスターミナルがあり、駅の設置はおそらくこのあたりに計画されていたのでしょう。

写真奥に見える高架道路は長居公園通りです。片道3車線の広い道路が阪和貨物線を跨ぐかたちで建設されています。貨物線が健在ならば格好がつくものの、現在跨いでいる部分の下には空き地があるだけですのでなんとなく不思議な印象をうけます。
歩道の右側の空き地が廃線跡になります。フェンスがゆるやかにカーブを描いています。ここから進路を再び西に変え、大和川に沿って進んでいきます。

阪和貨物線の跡を辿る(2)に続きます。

 

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