保存車両を訪ねて(2)

こんにちは、よこてんです。

今回は、玉野市電の続編です。

前回、玉までの路線を紹介しましたが、ここまでは備南電気鉄道時代に建設されました。ここからは市営、玉野市営電気鉄道となってからの延長区間となります。1960年に玉から玉遊園地前までの1KMが延長開業されます。「遊園地」というからには、娯楽施設が整った大規模なものを想像しますが、実際は子供向けの遊具があるだけのどこにでもあるような公園でした。この時点でも、児島、水島方面への延長計画を企てていたのかもしれませんが、結局、ここ遊園地前から先に線路が延びることはありませんでした。

当初から資金不足でスタートした備南電鉄ですが、開業にあたり電車を3両(モハ100形)購入します。その車両が終点近くに保存されています。
車体長は16M、小柄ながら均整のとれた車体ですね。そして驚くのは、保存状態が極めて良好なこと。大切に保存されているのが一目でわかります。
新車で備南電鉄にやって来たこの車両、実はまったく違う地で働く予定でした。調べてみると、元々の発注者は「蔵王高速鉄道」とあります。蔵王は山形県のあの蔵王です。しかしながら、蔵王高速鉄道は山形から上山、赤湯方面を結ぶ路線で、工事は始まったのですが、こちらも不景気により建設を断念、いわゆる未成線となりました。キャンセルになった電車を備南電鉄が買い取ったというわけです。
山形に行くつもりが岡山にやってきたモハ100ですが、当初の蔵王鉄道の注文がそうだったのか、備南電鉄が児島、水島方面まで延伸のつもりでそうしたのか、かなりの高出力車両でした。95KWの電動機を4基も積んでいたのです。玉野市電は全線でも4.7KMで、しかも途中駅が11もありました。とてもこの電車がこの区間に適応しているとは思えない、そんな路線を走ることで、当然のことながら電気を浪費します。経営難から抜け出せない玉野市電は1964年、電気設備の老朽化を理由に電車の運行を断念、内燃機関での運行に切り替えを図り、モハ100は3両とも走ることができなくなってしまいました。
架線を張っているのに非電化路線となり、不要となってしまったモハ100ですが、そこから次の人生がはじまります。香川県の高松琴平電鉄に売却されることになったのです。1965年、フェリーで海を渡り、讃岐の地で再び走り始めます。
「ことでん」では750形と形式を改めました。そして2006年まで走り続けます。一方の玉野市電は、毎年赤字を計上し1972年に廃止となります。

760号(モハ103号)は解体されることなく、また保存の要望もあって、再びフェリーで海を渡り、玉野市へ帰ってきました。
振り返れば、波乱に富んだ人生。しかし、こうして美しく保存されている姿を見ると、この玉野市電にやって来たそれこそが幸せであったのかもしれませんね。

 

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