急行型車両を訪ねて(3)

こんにちは、よこてんです。

急行型車両、続いては直流車の153系、165系を。と言いつつ申し訳ないですが、急行で頑張っていたころの写真がまったくない…。子供の頃には「鷲羽」、学生時代には「東海」などに乗ってはいるのですが、写真を撮っていませんでした。やはり印象に残るのは「新快速」時代でしょうか。

「新快速」といえば、もうみなさんに説明するまでもなく、現在ではJR西日本の看板列車ですよね。
大阪を中心に東は、東海道線、北陸線または湖西線を経由して敦賀まで。西は、東海道線、山陽線を経由して上郡と赤穂線経由播州赤穂までと、まさに「アーバンネットワーク」を担っています。速達性はもちろんのこと、オールクロスシートで最大12両編成と快適性も備え、それでいて料金は不要と、サービス面でも群を抜いていて私鉄王国といわれる関西圏でも存在感たっぷりです。

この新快速電車が生まれたのが国鉄時代の1970年です。当初は快速電車に使用していた近郊型の113系が充当されましたが、新幹線が岡山まで延伸した1972年に急行型車両153系(一部制御車は165系)に変更されます。
153系は新幹線が開業する以前に東京、大阪間を結ぶ電車急行を担っていました。新幹線開業後は東海道筋の運用は減ったものの、山陽筋の運用に従事、しかし、岡山まで新幹線が延伸したことで一気に余剰車が出ます。ここで新快速電車への転身が図られたわけです。
またもや古い写真で恐縮です。車両は中古ですが、鮮やかなブルーのラインが目を引きますね。当時は「ブルーライナー」とも呼ばれました。先頭車は高運転台ですので、もしかしたら165系かもしれません。余談になりますが奥に停まっている113系にグリーン車が組み込まれていますね。この車両もはっきりとはわかりませんが、153系からの改造車の可能性があります。
モノクロになりますが、こちらは運転台が低いので正真正銘153系です。当初、急行型車両を使用しながら料金不要にしたのも驚きですが、それ以上に驚いたのは、大阪を出ると新大阪も通過、京都まで停まらない所要時間29分の高速運転でした。当時ハイグレードな特急を走らせていた、阪急、京阪に対し、設備では劣るもののスピードで勝負したのです。「打倒私鉄」を目指した大鉄局にしてみれば、一か八かのギャンブルだったかもしれませんが、現在の大盛況ぶりを見るに、まさかここまで定着するとは思っていなかったのではないでしょうか。
こちらは、新快速の文字が入っていません。快速運用に就いていたのでしょうね。珍しいといえば珍しいです。

結局、わたくしの持っている写真のなかで、急行仕業に就いている153系、165系はないか探してみたらこんな写真が出てきました。高校時代に旧型国電の乗車、撮影を目当てに向かった飯田線での165系急行「伊那」です。東海道線の急行運用が減り、ローカル線の急行を担うことになっていった時代でした。
この時代、まだまだ飯田線ではピカイチの存在でした。しかしながら、この影で長距離電車の礎ともいうべき80系が追われていったのは、オールド鉄としては残念であったことと思います。

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