山陽電鉄で鉄さがし(7)

こんにちは、よこてんです。
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■ 高砂に残る廃線跡

今回は高砂にやってきました。高砂市の代表駅でもあり、直通特急も停車します。駅を出るとすぐ微妙にカーブした自転車置き場が目につきます。

実はこれ、またも廃線跡、国鉄高砂線の跡地になります。ちょうどここに高砂北口という駅があり山電と乗り換えが可能でした。この先、国鉄高砂線はもうひと駅、高砂まで走って終点となります。今回はこの区間を遺構を求めて散策してみます。

 

国鉄高砂線は、山陽本線の加古川から、高砂港までを結んだ営業キロ8.0kmの単線非電化路線で、国鉄時代旅客営業は高砂までで6.3KM、そこから先、高砂港までの1.7KMは貨物専用線でした。開業は1913年に播州鉄道という私鉄が建設しています。その当時は高砂港まで旅客列車が設定されていたそうです。播州鉄道は現在の加古川線も建設しており、加古川の水運に替わる交通手段として発足しています。
歴史に触れるなかで、この播磨地区はよく似た名前の鉄道会社が多いですね。「播州鉄道」「播電鉄道」「播但鉄道」…もうひとつ今回は触れませんが「播丹鉄道」という会社もありました。すべて違う会社です。

この高砂線、わたくしは残念ながら未乗のまま廃線になってしまいました。というか、厳密には加古川、野口間のみ別府鉄道乗車の際乗っています。高砂線の廃止は1984年。実はこのとき、「えっ!なんで廃止になったん?」という感じでした。なぜか。それは高砂に国鉄の車両工場があり、高砂線を使用しないと車両を回送できないから。工場があるのだから、廃止しないだろうと思っていたのです。
廃線と同時に高砂工場も鷹取に移転してしまいました。

■ 数多く存在した引き込み線

しばらく行くと、腕木式信号機が見えてきます。右側が山電高砂駅、左に行くと高砂工場方面となります。実は高砂線には、この他キッコーマンや三菱重工業、神戸製鋼など引き込み線が多く存在していました。

この分岐点には、ポイントを変える転てつ器もおかれていました。

■ 高砂駅跡は公園に さらに延びる廃線跡


高砂北口から高砂までは600m。高砂駅跡にあるモニュメントです。廃線跡は遊歩道にかたちを変えて、高砂港に向けて続いています。もう少し歩いてみます。

遠くに見える橋のあたりまで、遊歩道は続いていました。

■ 踏切跡に残る旧工部省マーク

遊歩道が道路と交わる場所がありました。現役のころは、おそらく踏切があったのだろうと思います。古い壁が印象的です。写真左下の境界を示す杭というか石にご注目。旧工部省の「工」のマークがはっきりわかります。このマークは線路の断面をモチーフにしたといわれています。
反対側も同様に、境界石があります。
廃線跡はもうしばらく続いたあと下水処理場のあたりで判別が難しくなり引き返しました。おそらく高砂港はもう少し先ではないかと思います。
高砂駅跡近くにあった駅前商店街です。レトロな良い感じでした。

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