山陽電鉄で鉄さがし(6)

こんにちは、よこてんです。
いつもご覧いただきありがとうございます。

■ 揖保川沿いに延びる謎の線路

山陽網干駅の西側には、揖保川と中川という2本の河川が流れています。赤穂、岡山方面に延伸計画がありましたが、残念ながらこの川を渡ることはありませんでした。山電が網干までやって来たのが昭和16年、先述した「播電鉄道」の廃止が昭和9年でしたので、ここ山陽網干で2つの鉄道が出会うことも叶いませんでした。もし出会っていたら、乗り換え駅になっていたことでしょう。また、後輩は先輩に道を譲るのが通例です。そうなると延伸計画のある山電は播電をオーバークロスすることになりますし、網干駅は高架駅になっていたかもしれませんね。

こんなことを想像しながら、揖保川にかかる橋をわたって、その向こうを流れる中川の堤防の手前まで歩いて行くと、いきなり現れるダート道。そして、そこで信じられない景色が飛び込んできます(一般の方はそこまでの感動はないかもしれませんが…;)。

 

なんと、線路が敷かれているではないですか!しかもかなり向こうまで続いています。

もしかして播電鉄道跡?いえいえ、この軌間は1067ミリですね。意外にもしっかりとした軌道です。なんと踏切まであります。
畑のなかをどこまでも延びる線路。列車が今でも走って来るような、そんな気配すら漂いますが、こちらも廃線跡で、残念ながら待っていても列車はやってきません。
この鉄路は、北沢産業という会社の所有で、1980年後半までJR網干から海岸沿いの浜田港まで結んでいた、貨物専用鉄道でした。1943年に建設、全線非電化です。沿線に東芝の工場があり、物資輸送が当初目的でした。
1943年ですから軍事色が濃いですね。

■ 美しく整備された廃線跡

やがて、線路は徐々に勾配をのぼっていきます。それにしてもこの築堤、廃線跡なのによく整備されています。通常なら草木が生い茂り、線路そのものも見えないくらいの状態になっているはず。少なくとも、年に何度かは手入れをされているのではないでしょうか。
立派な築堤ですね。ここで線路は一旦とぎれます。この反対側に揖保川が流れていて、かつては鉄橋で越えてさらにJR網干駅まで続いていました。鉄橋はすでに取り除かれています。
北沢産業の専用線は、全長6km。わたくしが紹介したのはほんの一部で、ここから先、揖保川を渡ってJR網干に至る区間も、様々な場所にレールが残っていて一見の価値ありです。そしてJR網干付近にはDB型機関車が静態保存されているとのこと。こちらはまだ、わたくしも未訪問です。ただ、全線にわたって私有地であることを示した注意書きの看板が立っていますので、是非、ルールは守っていただきますよう。

Follow me!