近鉄道明寺線で明治の鉄道遺産を味わう
こんにちは、よこてんです。
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■ 近鉄最古の路線は「道明寺線」
前回はレンガのアーチが美しい近鉄吉野線の薬水拱橋を訪れました。前身の吉野軽便鉄道により吉野口~吉野(現在の六田)間が開業したのが1912年(大正元年)、近鉄の前身である大阪電気軌道の上本町~奈良間の開業が1914年ですから、それよりも古いことになります。
近鉄の歴史は合併の歴史でもあり、様々な買収や吸収を重ねながら現在の路線が形成されていきます。では現在の近鉄線で最も古い路線はと言えば、それは道明寺線になります。わずか2.2kmの路線ですが吉野鉄道よりも古い1898年(明治31年)に、河陽鉄道が現在の南大阪線の一部を含む柏原~古市間を開業させました。当時すでに開業していた国鉄関西本線(当時は大阪鉄道。のちに関西鉄道に営業譲渡)と、柏原で貨物の受け渡しを行ったわけです。受け渡しが容易なように1067mmでの開業、これは吉野口で国鉄と連絡した吉野軽便鉄道も同様です。
薬水拱橋があまりにも美しかったので、それならばさらに古い路線にはもっと歴史的価値の高い構造物があるのではと思い、今回は近鉄道明寺線を訪ねてみます。
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■ 二つの溝橋を味わう
柏原駅にやってきました。
1番乗り場で発車を待つ6422F、ワンマン改造化され6432系を名乗ります。
柏原駅1番線は近鉄線専用で切り欠きタイプ。2番線はJR線天王寺、JR難波方面行きが使用していて同一ホームで乗り換えが可能です。ICカードで乗り換えをする場合はホームに設置しているカード機にタッチするのをお忘れなく。
窮屈な写真で恐縮です。道明寺方面を向いています。JRと近鉄、仲良くならんで進入してきますが、JR201系が通っているあたりにかつて渡り線があり河陽鉄道時代は蒸気機関車が貨物の受け渡しを行っていました。河陽鉄道はその後河南鉄道に経営を引き継がれ古市から河内長野まで延伸、現在の南海高野線の前身である高野鉄道と接続を果たし、さらに大阪鉄道(2代目。現関西本線を建設した大阪鉄道とは別の会社)と社名変更して大阪阿部野橋へ進出、その時柏原~道明寺間は電化されるものの支線となります。
わたくしは電化支線化後の道明寺線しか知らないのですが、少年時代に近鉄の電気機関車が、ここ柏原で貨物の入換をしていたことをかすかに覚えています。
柏原を出た列車は右にカーブしながら築堤を上っていきます。この築堤に沿って次の駅、「柏原南口」まで歩いていくことにします。
まず、レンガ積みの橋りょうが見えてきます。高さは2.1mとありますが、橋の長さは1.8mです。
続いて高さを増した築堤をつなぐ橋りょうが現れます。こちらもレンガ積みです。薬水拱橋とは違い曲線の美というものはありませんが、正確に積まれたレンガの美しさを感じ取れます。
この二つの橋は溝橋に区分され、現在は人が通れるようになっていますが元々は水路であったと思われます。
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■ 「イギリス積み」と「フランス積み」
この2つの溝橋に特筆されること、それはレンガの積み方です。
皆さんご存知の通りレンガは長方形をした立体形状をしているものが標準です。レンガを置いて一番大きい面を「平」、次に大きな面を「長手」、一番小さい面を「小口」と呼びます。この溝橋を見ると一つの列に「長手」と「小口」が交互に並んでますね。
この積み方は「フランス積み」と言い、レンガの柄が表面に現れる美しい積み方とされています。強度や経済的観点より芸術的感覚が優先されるため鉄道構築物にはあまり採用されていません。
この2つの溝橋は、もしかしたら指導した技師がフランス人だったのかもしれませんね。
こちらは、前回訪れた薬水拱橋です。
こちらの積み方を見てみると、一つの列に「長手」のみ、その上の列は「小口」のみという積み方になっているのがおわかりになるかと思います。この積み方は「イギリス積み」と呼ばれ一般的にレンガの数が少なくてすみ経済的で、しかも強度が高いとされています。鉄道構築物ではこの積み方が主流です。
■ 街道をまたぐ陸橋を味わう
築堤の上に建つ柏原南口駅です。その隣に先ほどの溝橋とは違ってやや大きな橋梁が現れます。下を走るのは国道25号線です。こちらは奈良街道陸橋と呼ばれ、長さは9.1mあります。支柱はレンガ積み、積み方はイギリス積みですね。
■ 大和川を越える鉄橋を味わう
そして一段と大きな構築物がこちら。大和川を渡る「大和川橋梁」です。長さは216.4mあります。
橋脚部分はコンクリートで補強されていますが、橋梁部分は開業当時のままです。
大和川橋梁に限らず、今回ご紹介した構造物はすべて開業当時から使用され、令和の今日に至ってもなお現役で使用されています。
大和川を渡った列車は、支流の石川にそって走り「道明寺」に到着します。「道明寺」では同一ホームで古市、河内長野、吉野方面行きの列車に乗り換えができます。ちょうど古市方面に向かう列車が進入しようとしているその手前には急カーブがあります。明らかに道明寺線のほうが直線的でかつてこちらが本線筋であったことがよくわかります。
構内はご覧のように数本の側線を有していて事業用車両が停まっています。かつてこの場所で電気機関車が停まっていたのを思い出します。
■ 〆は、少し新しい吊橋で
道明寺は梅林や桜の名所で知られる道明寺天満宮の最寄り駅ですが、参道を反対側に歩き石川の堤防に上るとご覧のような「玉手橋」という名の吊橋を見ることができます。
この橋を渡ったところにかつて河南鉄道によって開かれた「玉手山遊園地」という小さな遊園地がありました。現在は閉園となり「玉手山公園」とかたちを変えています。絶叫マシーンなどはなく子供向けの乗り物が中心の遊園地でした。わたくしも子どものころ親に連れられて行きましたし、自分が親になり子供を連れて行った思い出があります。小さな観覧車と長いすべり台がありました。
この玉手橋は、大阪鉄道が1928年(昭和3年)に遊園地までの便宜をはかるために架けたそうです。2001年(平成13年)登録有形文化財に認定されています。
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薬水拱橋が、土木学会選奨土木遺産に認定されていることは前回ご紹介致しましたが、今回ご紹介の道明寺線の鉄道構造物も同様に認定されていることを知りました。
本線から支線扱いとなりのんびりと余生を送る近鉄道明寺線。ただ支線になったからこそ明治の時代から足元を支えてきた貴重な鉄道遺産が現在まで生き残れたのかもしれません。