伊勢電が駆けた道 1
こんにちは、よこてんです。
いつもご覧いただきありがとうございます。
■ 高田本山駅近くに残る遺構
三重県の県庁所在地、津駅から名古屋方面に向かって二駅めに「高田本山」駅があります。駅名の由来でもある国宝の高田本山専修寺へは徒歩約20分、途中には伊勢鉄道の東一身田駅があります。
高田本山駅から、その専修寺に向かって歩くこと7~8分でしょうか。右手の田んぼの中に変わったものを目にすることができます。
頑丈そうなレンガ造りの建造物、一体なんなのか。実はこれ鉄道の遺構です。遠くに見える高架は旧国鉄伊勢線、現在の伊勢鉄道です。もしやあちらが新線でこちらが旧線でしょうか。
|
■ 周囲を見渡してみると…
おや、もう一つ向こう側にも同じような遺構が見えますね。面白いのは田んぼがこの遺構に沿って区画されていること。まさに廃線跡を意識した区画となっているところが、鉄ちゃんとしては嬉しいかぎりです。
こちらも同様にしっかりとした造りになっていて水路をまたいでいます。遠くに先ほどの遺構が見えているのがわかります。
廃線跡は、ちょうど写真左側に見える木の生い茂った場所に向かって延びています。
木が生い茂る場所まで行ってみますと、そこにはまたも立派なレンガの遺構がありました。 ご覧のように一直線に廃線跡が延びているのがお解りになるかと思います。
こちらはかなり大きな水路になりますね。
筆者が立っているのが志登茂川の堤防になりますが、廃線跡は田んぼの中を、やや勾配をつけながらまっすぐ走り、用水路をいくつか越えてこれから志登茂川を渡ろうとしています。
|
■ 川の中に残る橋脚
そして川の中を見ますと、ご覧のように立派な橋脚が残っています。
遺構の向こう側、近鉄21000系が走るのが見えます。
■ 伊勢電の夢の跡
この遺構は近鉄名古屋線の前身、伊勢電気鉄道の本線跡です。最盛期には桑名から外宮の近く大神宮前まで、そして、前回訪れた近鉄鈴鹿線の若松~神戸(現鈴鹿市)間、さらには養老鉄道も傘下におさめたため大垣方面揖斐への路線までも有した伊勢電ですが、積極経営が仇になり収益が悪化、当時の近鉄の前身、大軌の子会社である参宮急行電鉄に合併されます。伊勢電の路線は急カーブの存在した津、四日市付近は新線となっていますが、江戸橋以北桑名までは現在も近鉄名古屋線として健在です。
参急も伊勢電も伊勢神宮を目指しました。1930年12月、伊勢電は参急とわずか数日違いで大神宮前まで到達しています。1935年には、新造車デハ二231形、クハ471形による特急の運行を桑名~大神宮前間でスタートさせます。伊勢電にとってはこの時が最も華やかだったのかもしれません。
次回は伊勢市付近に残る伊勢電の遺構を訪ねます。
|
“伊勢電が駆けた道 1” に対して2件のコメントがあります。
コメントは受け付けていません。