近鉄鈴鹿線
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■ 近鉄最後の未乗区間
近畿日本鉄道(近鉄)は、国内でJRを除く民営鉄道のなかで最長の路線を有することは以前ふれました。乗り鉄としては「その全線を走破したい」、という一般の方には理解し難い目標があります。そして最近ようやく近鉄全線走破を達成することができました。最後まで残っていたのが三重県にある「鈴鹿線」です。今回はその「近鉄鈴鹿線」をご紹介します。
■ 起点は伊勢若松
近鉄鈴鹿線は近鉄名古屋線の伊勢若松駅から平田町駅までを結ぶ8.2kmの路線で、全線単線です。
伊勢若松駅です。2面4線の駅で平田町行きは4番線から発車します。訪れたのは休日でしたが、平日の朝に1本だけ四日市発の平田町行き急行が設定されていて、この列車に限って1番線からの発車となります。余談になりますがこの列車、四日市発と申し上げましたが四日市駅で待っていると名古屋方面から満員で到着します。四日市まで各停の運用でやってきて、引き続き四日市から急行の運用に就くというちょっと変わった運用形態をしています。
ちょうど平田町からの電車が到着しました。ここで折り返しとなります。ラッシュ時は15~20分間隔、デイタイムは30分間隔での運転です。車両は1978~79年に製造された2000系。10100系「ビスタ・カー」の台車や主電動機が流用されていましたが、現在では新しいものに交換されていると聞きました。
伊勢若松駅を出ると右にカーブをとって西に向かって走ります。辺りは住宅が点在するのどかな風景が広がります。特筆すべきは意外とスピードが速いこと。鈴鹿線内の最高速度は80キロで本線筋とまではいかないものの心地よいスピードで走っていきます。
ロングレールが多くなった昨今、ここでは軽やかなジョイント音が楽しめます。
最初の駅、「柳」駅に到着。1面1線の駅で、駅名のとおり柳の木がありました。
柳を出てしばらく行くと旧国鉄伊勢線、現在では第3セクターの伊勢鉄道と交差します。交差地点に伊勢鉄道の鈴鹿駅がありますがこちらには駅は存在せず、しばらく走ったところに「鈴鹿市」駅があります。伊勢鉄道は亀山を経由しないバイパス路線で、JR東海の快速「みえ」や特急「南紀」はすべてこの伊勢鉄道を経由しています。特に鳥羽~名古屋間は近鉄と路線が競合していますので、乗換に不便なのは仕方のないところでしょうか。
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■ 伊勢電気鉄道によって「鈴鹿市」まで開通
「鈴鹿市」駅は交換設備があり、かつてはここが終点でした。1925年に伊勢鉄道、のちの伊勢電気鉄道が伊勢若松から現在の鈴鹿市である「神戸」まで開通させています。なお、先ほどの伊勢鉄道とはまったくの別会社です。ここから先は近鉄が建設した路線で、1963年に鈴鹿市~平田町間が開通しています。考えてみると近鉄が敷いた区間って意外と少ないんです。大軌にはじまり、いろんな鉄道会社と合併しながら「近畿日本鉄道」となったのが1944年です。有名なところでは難波線ですね。少年時代は大阪線はもちろんですが奈良線も上本町が始発駅でした。近鉄百貨店もあり通称「うえろく」に行くことが、八尾に住んでいたわたくしにしてみれば楽しみでもありました。
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■ 延伸計画があった
終点の平田町に着きました。1面1線の終着駅でしたが、ホームの屋根の雰囲気を見ると以前はもう1線、片方にも線路があったのかなと思わせる造りです。
駅前はロータリーになっていて、三重交通の路線バスが四日市、白子、亀山方面へと走っていました。
駅周囲を歩いてみますと本田技研や旭化成などの大きな工場があることに気が付きました。平日朝の直通急行も、こちらの工場への通勤輸送を考慮して設定されているのかもしれません。
ここ平田町から先に延ばす計画はなかったのでしょうか。
実は若松から神戸まで開通させた伊勢電は、神戸からさらに伊賀地方へ線路を延ばす計画があったそうです。この伊勢電も近鉄の歴史を語るうえで外すことのできない鉄道会社です。次回は三重県下を颯爽と駆け抜けた伊勢電の遺構を訪ねてみたいと思います。
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